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学祭手記

『冬の予感〜東西ドイツ国境遭遇戦198X年〜』

注意・これは2017年11月3日に若木祭サークル活動として行われた『Flame of War チームヤンキー出動』のゲームプレイレポートです。

1914年、或いは1939年がそうであったように自由で民主的な国々にとってそれは突然に、危機的な状況をもって始まった。
後に第三次世界大戦と呼ばれる戦争の最初の大規模地上戦は NATOの設定した防衛線であった名も無き高地を越えてソ連の歩兵戦闘車が現れたことで始まった。私の指揮する英米混成師団の将兵からすればまったく心構えのないままに起こった『遭遇戦』であった【『』内はゲーム上のシナリオ名である】。
ソ連軍左翼は我が軍右翼に対し戦車、対空自走砲、機械化歩兵部隊など多数を突出させている反面、我々の中央および左翼に対してはほとんど目立った兵力を置いていなかった。
しかし、それは我が軍の戦力を単純に敵左翼に対して全力でぶつければ良いことを意味しなかった。私の部隊の役目は担当地域の南(右端)にある物資集積所と北(左端)にある街道を敵の手に渡さないことにあり、また可能な限りソ連軍に制圧されつつある小さな村を防衛できる点まで前進することを求められていたからだ【『遭遇戦』シナリオでは自陣の2点を守り、敵陣の2点のどちらかを占領することがお互いの勝利条件になっている】。
始めのうち、私は中央をエイブラムス 2小隊によって大胆に突破しソ連軍左翼の突出した主力を半包囲下に置くことを考えたが、現場指揮官の悲鳴にも似た物資集積所を守るための戦力要請によりかなり受け身な方針をもつことになった。彼らはそもそもこの状況における戦車という兵器の有効性について心細く思っていたようであるが、師団長としての権限によりエイブラムス 2小隊とチーフテン1個小隊を優先配備することを強行した【『遭遇戦』シナリオでは最初から盤面に出せるのはお互いに総戦力の60%である。戦力はユニットごとに設定された戦力ポイントで計算する】。
ソ連軍の国境侵犯に対し、私は積極的な反応を取ることにした【NATOが先行になった】。果敢な攻撃によりソ連軍の歩兵戦闘車3両と歩兵4チームを粉砕した。しかし敵の突進は止まらず、ソ連軍の攻撃ヘリコプターの攻撃によりチーフテン小隊3両は壊滅した。あっという間にの出来事だった。迎撃によって攻撃ヘリコプターをいくらか撃墜できたことがせめてもの慰めだった。
さらに悪いことは続くもので要請していた航空支援が遅れるとの連絡があった【ヘリコプターを除く航空機はサイコロによる判定に成功しないと盤面に登場しない。NATOは第2ターンの判定に失敗してしまった】。さらにM109自走砲による支援砲撃もたった2両の対空自走砲を撃破するのみで、その弾着観測に当たった部隊は全滅してしまった。
けれど、良いニュースもある。エイブラムス 1小隊が到着したのだ。これにより戦車戦力に余裕が出た我々は攻撃を行い、ソ連軍のT-72戦車を4両撃破することに成功したのだ。謎のベールに包まれていた共産圏の最新型戦車が決して無敵の存在では無いということが実戦で証明されたのはNATO全体の吉報だった。我々はなお有利とは言えなかったが希望は確かに存在していた【1-2ターン目はまずまずの結果となった】。
そしてついにA-10とハリアーという心強い味方が到着した時、我々は反撃に出た。その結果、ソ連軍の歩兵戦闘車は1小隊を残して失われ、またT-64などの戦車もその一部を切り崩すことに成功した。代償としてエイブラムス 戦車1小隊の被害が出たが、およそ満足のいく結果だった。問題はこの後行われるであろう敵のカウンターだった。
ソ連軍左翼を我が軍右翼が突破せんとし、混戦が生じていた。また我が左翼は防空体制が薄く、隙があった。援軍が到着するまでにいかに守り切れるかが重要となった。
混沌が戦場を支配していった。遠目にもわかるほど立ち上る黒煙がただその戦闘の激しさを伝えていたが、もはや師団司令部にあっては作戦当初の目標達成が可能か不可能かもわからない状況だった【サークル独自ルールにより、筆者は直接ゲーム盤を見たり触れたりすることができなかった】前線の指揮官らはソ連軍は消耗しており時間さえあれば状況は好転すると言ったが、NATOも余裕があるわけではなく、ただお互いに消耗戦を続けるばかりに思われた【日程の関係で今日のゲームはサドンデスになりそうだった】。
しかし予想は意外な、そして我々にとって悲しむべき事件によって動き出した。我が軍左翼に迫る敵T-64戦車を攻撃しようとしたハリアー戦闘機3機が戦車に積まれた機関銃に迎撃されて2機も撃墜されてしまったのだ。滅多に起こることではないが、1機残されたハリアー戦闘機は虚しく引き返すことになった【これはソ連軍のダイス運が大変良かったとしか言いようがない。残り1機となったハリアー戦闘機も士気判定のダイス目が悪く除去されてしまったのだ】。
航空支援を失った我が左翼は敵の制圧下に置かれ、南の街道【左端のNATO防衛地点】攻防戦の帰趨はチーフテン戦車1両の存在に委ねられた。そして彼らは私の期待に応えて『街道上の怪物』として振る舞った。
激しい戦闘はまだ続いていたが、NATO上層部は民間人の避難を確認したことで私に撤退を命じた。英米混成師団は勝利条件を達成出来なかったが、時間を稼ぐことに成功したのである【ゲーム的にはソ連軍が侵攻目標地点のNATOユニットを除去しきれなかったことで時間切れとなり、NATO軍も侵攻目標地点へ到達出来なかったことで引き分けとなった。あのままゲームが続いていたならば、ソ連軍が勝利条件を達成していた可能性が高い】。
自由主義世界に訪れた突然の冬はまだ始まったばかりであった。

(書いた人・2年イムホテプ)


by kgmc_blog | 2017-11-04 13:15 | Comments(0)